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「価格」と「価値」の乖離。成熟国としての振る舞い方。

私達が生活しているこの社会は、資本主義社会であり、同時に貨幣経済社会です。


貨幣経済社会っていうのは、簡単に言えば、

何か食べたければお金を払い、家に住みたければお金を払い、

素早く移動したければお金を払うことでそれが満たされるような社会のこと。


そして、この貨幣経済社会の上で、

「経済の規模」を表すのにはGDPという指標が使われます。

GDP(国内総生産)は、すごく簡単に言えば、

「その国の中でどれだけお金が移動したか」を表す数字です。


逆に言えば、お金の移動しない価値生産、

例えばボランティア活動なんかはGDPには反映されません。


これらを踏まえて、ちょっと今までの経済の流れを考えてみましょう。


まず、高度経済成長期等に見られるように、

「作れば売れる」の時代がありました。


この頃流行った製品群は、そのほとんどが

「消費者の時間を節約する」ものだったという側面があります。

例えば自動車は移動時間を短くし、テレビは情報収集を容易にし、

洗濯機や掃除機、冷蔵庫も言うに及ばず消費者の生活を「効率的」にしました。


そして、そういった製品が大体の消費者に行きわたると、

今度は「より効率的な製品」が求められるようになっていきます。

より手軽に、より早く。

新製品に買いかえれば生活の効率が上がる、だから多少お金を出しても買う。

そういった時代までは、GDPで経済規模を測るのが非常に有効でした。


しかし、さらにその次の段階に入ると、価格競争が起こってきます。

どれを買ってもそれほど変わらない、ならば安いほうを買う。

ここで、「価格」と「価値」の乖離が起こり始めたのではないでしょうか。


価値あるモノを安く、なんていうとどっかの量販店の宣伝文句みたいですが、

それを買った人の受け取る便益は変わらないのに、払うべきお金は減る。

もしくは、同じお金を払っているのに、受け取る便益が過去の人のそれに比べて多い。


これもまた、取引額が増えていないためGDPでは測れないですが、

「経済社会としての成長」が起こっていると言えます。


で、何が言いたいかというと、この流れがこのまま進んでいくとすると、

さらに「価値」と「(貨幣の多寡としての)価格」の乖離が進んでいくはず、ということ。


わかりやすい例を挙げれば、

音楽プレーヤー、携帯ゲーム機、電子マネー、デジカメ、

それだけでなく地図、時計、辞書その他もろもろの代替品となっているスマートフォン。


スマホから受ける「便益」と、それに支払っている対価(本体価格や月額使用料)の差は、

それこそ10年20年前から比べればすごいことになっているんじゃないでしょうか。


しかも、この場合はスマホ市場が大きくなっているとしても、

市場全体で見れば、スマホが代替された製品の市場を縮小させている形になっているわけで、

そうなると必然的にGDPは減るはずです。

消費者の手にする便益が維持または拡大していたとしても。


そしてその流れ自体は、経済社会では止めることはできません。


もし、

「スマホは他の製品の市場を荒らしてけしからん!規制だ!」

なんてバカなことやったとしたら、世界中から笑いモノにされておしまいです。


日本をはじめとする成熟国では、既に人間の生活を便利にするものは飽和状態で、

たまに新しいモノも出てきますが、

画期的に市場を拡大するようなものはもう望めないハズです。

消費する側にもお財布っていう制約がありますしね。


で、現在流行っているというか競争が激化してるのが、

消費者の時間を節約するものではなく、消費者に時間を使わせるもの。


TwitterやFacebookにはじまり、GREEもモバゲーも、テレビもマンガも全部そうです。

「いかに自分の製品で時間を過ごしてもらうか」が鍵なもの。


となると、消費者の時間には限りがある上に、

消費者はより安くてより満足度の高いサービスを選ぼうとします。


そうすれば必然的に、金銭的取引の合計額では測れない付加価値の生産が活発化し、

ここでもまた支払った金額と得られる満足度が徐々に乖離していくはずです。


思えば、日本が経済で「追い抜いた」はずのヨーロッパ諸国などは、

いまもまだ一等国として充実した暮らしをしています。


それは少ない金銭的取引でも十分な満足を得られる

「豊かな国」だからこそではないのかと、最近は考えています。


であれば、そういった国から日本が見習えることは、

中国とかインドとか韓国に追い抜かれるヤバい!とか言ってないで、

金銭的取引の最盛期は成熟国になる前段階として必ず通る道であり、

日本はすでにそのフェーズを終えたという考え方をすることではないでしょうか。


そして、金銭的取引の多寡でなく、「価値」に主眼を置く。

「この行動は儲かるか?」でなく、「この行動は価値があるか?」を考える。

それが成熟国としての振る舞い方なのではないかと。

価値のある行動には、自然とお金もついてくるはずです。


さらに、金銭的取引の多寡で評価できない「価値のやりとり」を測る方法も必要です。

金銭的取引をシステマティックに表現し管理する簿記は、

もう数百年も使われ続けています。


しかし、数百年の間に、

簿記(≒GDP等)が対象とするような、「貨幣のやりとりによって正確に表現できる取引」

ではない取引の形も徐々に多くなってきたのではないかと思います。


NPO、NGOやソーシャルビジネス、プロボノなんかのやってることも、

社会にとって無視できないレベルになってきているのであれば、

お金のやり取りではなく価値のやりとりを記述し、測定し、分析するための

「共通言語」が必要になってくる。


それは一体何なのか。

一説には「評価経済社会」の到来が予見されていますが、

私にはまだどうなるかわかりません。


ひとまずは、個人として「価格」「価値」は乖離し得るということを肝に銘じて、

「価値」のために動いていければと考えています。



…ところで、マジメな文章書こうとすると一人称が私になっちゃうんだけど、

普段は俺って書いてた気がして何か整合性ない感じになっちゃったけど、気にしない方向で。
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プロフィール

しんじ

Author:しんじ
「新氷河期世代」
と呼ばれながら就職活動をした
2010年卒の社会人。

新氷河期世代1期生が社会に出て
感じたこと、考えていることなどをつらつらと。

でも就活状況の悪化が激しすぎて
下の世代のほうが優秀かも。

コメント歓迎。
メールで何か言いたい場合は
shintubu001○gmail.com
へお気軽に。
(○を@に変更)

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