スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「企業倫理」ならぬ「労働者倫理」の必要性

企業倫理というものがあります。

意味としてはそのまま企業として持つべき倫理観のことですが、

企業本来の目的である「利潤の最大化」を達成する手段として考えられるところが、

通常言われる倫理との違いです。


例えば、単に環境保護と言うのではなく、

企業として

『自社の長期的な利潤最大化(=企業の存在する目的)のために環境を保護する』

という方針を定めれば、それが企業倫理になると考えてください。

企業の存在目的と、社会一般の倫理が並立し得る倫理観が「企業倫理」というやつです。


で、それに対して、「労働者倫理」または「経済社会を構成する人間としての倫理」

なんてものもあるんじゃないのかなと、ふと思いついてしまったので書きます。


あ、正式にそういう言葉があるってわけじゃないです。

ただの俺の思いつきです。


まず、この「労働者倫理」というのは、

言うまでもなく「労働者としての倫理観」のことであり、

つまり、「個としての労働者とはどうあるべきか」ということを命題にします。


「企業倫理」が、

『その企業が存続している間に創り出す価値の最大化』

(実際は企業の永続(=Going Concern)を前提に考えられていますが)

を念頭に考えられているのと同様に、


「労働者倫理」も、

『その個人が労働可能である期間に創り出す価値の最大化』

のために構築されるものと考えます。


「労働可能である期間」というのは、

「生産年齢人口」の定義である15歳以上65歳未満とでもしておきましょう。

重要なのは、企業と違って「個としての労働者は永続し得ない」ということです。

当たり前ですが、不老不死の企業戦士サラリーマンなんてのは存在しません。


その50年くらいの間に、どれだけ大きな価値を社会に提供できるか。

これが、「労働者倫理」という分野があったとしたら、

突き詰めるべき問いになるのではないかと。


合計値として最大化された価値を提供すればいいわけですから、

15歳からいきなり働かなくても、高校や大学や大学院に行って、

時間当たりの生産可能価値を高めてから仕事してもOKです。


30代でいきなり「世界を見てくる」とか言って1年くらい放浪生活を送っても、

その結果として社会に提供できる価値の合計が増大してればそれもアリです。


そういう概念として「労働者倫理」を考えてみた場合に、

経済社会の一構成員として、どう働き、どう暮らしていくべきか。


まず、意識として

「50年間で自分にできる精一杯のことを社会に対してしなければならない」

というのが大前提になければいけません。


あくまでこれは理想ですが、

倫理というのは「どのような理想を掲げるべきか」ということですからね。


「企業倫理」は企業がどんな倫理観を持てば最も社会の中で役割を果たし得るか。

「労働者倫理」は労働者個人がどんな倫理観を持てば最も社会の中で役割を果たし得るか。


「人間として」ではなく、

「労働者として」であるところが重要かつこの文章のズルいところですが、

「人間としてどう生きるべきか」なんて高尚な話は俺にはできないので、

「労働者として」のほうの話にお付き合いください。


で、その

「50年間で自分にできる精一杯のことを社会に対してしなければならない」

という認識を全ての人が持てたとしたら、


数年で潰される部下も、部下を何人も使い潰す上司も、

「守るべき倫理観を守っていない存在」になり、減っていくはずです。


「会社」単位では、「ぶっ倒れるまで働いて体壊して辞める」でも、

その労働者が提供できる価値の最大化になるかもしれませんが、

「社会」単位で見れば、「ぶっ倒れるまで働いて体壊す」のは、

『損失』でしかありえません。


会社には代替の労働力を引っ張ってくる「外」がありますが、

「経済社会」は閉じた世界ですからね。外なんてない。

50年働けるはずの労働力を3年で使い潰したら、単なるとんでもない損失です。


効率だけを見るのであれば、自然治癒力ギリギリのところで働かせ続けるのが、

「社会」全体からすれば労働力の活用としては最も効率的と言えます。


さて、そんな経済社会的視点から見たときにわかる、

個々の労働者の持つべき2つめの倫理。


「50年間ぶっ壊れない」


これですね。


忙しかろうが、上司に無茶振りされようが、

「自分の健康は自分で責任を持って管理する」ということ。


これを適用すると、

「3年死ぬほど頑張ってぶっ倒れて無職になりました」

というのは、非常に非倫理的な行動ということになります。


逆に、

「50年間、辛いときもあったけど、手を抜いたりもしながら何だかんだ勤めあげました」

というのがとても倫理的ということに。


この2つの倫理を、カタい言い方すると

「労働者は、自身の生産可能期間およびその期間における生産価値を、

 自身の管理下に置き、最大化しなければならない」


となります。


つまり、3年だけがっつりやってあとはなにも生産しないのも、

50年間手を抜き続けて、

本来自分が生産できるはずの価値より少ないものしか残さないのも、

両方ダメってことです。


さらに言えば、「自身の生産可能期間」を自力で最大化することが求められます。

要するに自己管理ってやつですね。

自分が末永く健康でいられるように、自分で管理する。


上司に「もっと頑張れ!」って言われたから頑張り、

上司に「疲れてるようだね、休みなさい」って言われたから休むんじゃダメです。


そもそも上司なんてもんは立場上「もっと頑張れ!」としか言いようがないですし。


誰になんと言われようが、

自分がヤバそうだと感じたら、休むなり、わからないように手を抜くなりする。

逆に「頑張れ」と言われなくても、

常に自分の生産する価値が最大化するように動く。もちろん長期的視点で。


というのが、「労働者倫理」のあり方なんじゃないかと。


実際、上司も部下の体調やメンタルまで一人一人管理しきれないですよね。

案外社会に求められているのも、

『「頑張れ」と言ったら壊れるまで回り続ける歯車』でなく、

『「頑張れ」と言ったら自分でペースを調整してメンテしながら半永久的に回り続ける歯車』

のほうなんじゃないのかなと。


ここまで書いてみて、じゃあ資本家とか不労所得なネオニートはどうすんだとか、

仮に半分の力で食い扶持稼ぐには十分な人がいたらどうなんのとか、

いろいろ疑問がわいてきてしまいましたが、とりあえず今日はこんなところで。


結局、一番言いたかったのは、

「お前ら、体壊すまで働いても誰も得しねぇぞ。

 人生もサラリーマン期間も長いんだ。気長にいこうぜ。」


ってことです。

遠回り過ぎるな、うん。
スポンサーサイト
プロフィール

しんじ

Author:しんじ
「新氷河期世代」
と呼ばれながら就職活動をした
2010年卒の社会人。

新氷河期世代1期生が社会に出て
感じたこと、考えていることなどをつらつらと。

でも就活状況の悪化が激しすぎて
下の世代のほうが優秀かも。

コメント歓迎。
メールで何か言いたい場合は
shintubu001○gmail.com
へお気軽に。
(○を@に変更)

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
since 2010/05/05
カレンダー
08 | 2011/09 | 10
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
twitter
検索フォーム
全記事表示
全タイトルを表示
RSSリンクの表示
このページのトップへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。