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【本】「コア・コンピタンス経営」(ゲイリー・ハメル、C.K.プラハラード)

「コア・コンピタンス経営」という本を読んだので、感想のようなものでも。


タイトルにある「コア・コンピタンス」というのは、

企業の競争力の源泉となる能力のことです。


この本では、未来志向の経営が重要だと何度も説いていて、

その土台になるのがこのコア・コンピタンスだと言っています。


原題は「Competing for the Future」で、直訳すれば「未来への競争」なので、

むしろコア・コンピタンスに話を限定しているわけではなくて、

いかに未来志向の経営を行って成功をおさめるかを述べている本ですね。

経営学の世界では有名な本です。


この本を書いたのは、ゲイリー・ハメルとC.K.プラハラードという、

それぞれロンドン・ビジネススクールとミシガン大学ロス経営大学院の教授で、

書かれたのは1994年。


日本ではバブル崩壊直後くらい。


なので、本書では日本企業は、バブル崩壊前の絶頂期の姿で描かれていて、

欧米の経営学の教授が、

「欧米企業はなんで負けたのか?日本企業はなんで勝ったのか?」

解説するような構図になっています。


「なぜそうなった?」の部分に関しては、

「深い洞察から高い理想と明確な戦略を描き、経営資源を集中してそれを実現したから」

という経営学の王道的な説明がされているわけですが、面白いのが


「過去の栄光にしがみつく欧米企業」

        vs

「経営資源を集中しそれを打ち破る日本企業」



という構図。

これ、そのまんま今の日本企業とアジアの新興企業に当てはまるんですよね。


プリンターにプラズマクラスターを搭載するような迷走ぶりを見せる日本のメーカーを、

サムスンやらLGが打ち負かしていってる現状と、非常に似てる。

歴史は繰り返すとはよく言ったもんです。


そして、個人的に本書の中で一番印象に残ったのが、


「もはや日本は世界から学ぶより世界に教えるほうが多くなったと

 日本の管理職が考え始めたら、世界中の競合他社は祝杯をあげていいだろう」



という一文。


文脈としては、過去の栄光に縛られて新たに学ぶことができなくなっている

アメリカの企業に対する批判のような感じなんですが、今の日本企業を見るとどうでしょう。


確実に祝杯あげられちゃってるよコレ。


18年前に「今は成功してるけど、こうなっちゃったらダメだよね」と本に書かれた状況に、

今まさに陥ってしまってる日本企業。ギャグか。


過去の栄光にいつまでもしがみつかず、

未来の理想を描いてそれを実現する工夫を積み重ねていく。

そんな「経営学の基本」をいつから日本企業は忘れてしまったのかなぁ。

なんて思いながら読んだ本でした。
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これからの日本に求められるものを考える。


日本経済は失速した。原因はバブル崩壊。その後もバブル崩壊前の勢いを取り戻すことはできず、バブル崩壊から20年たった今でも、「失われた20年」なんて呼ばれている。
「失われた20年」の間に様々な手が打たれてきたが、それでも以前の勢いを取り戻すことはできない。どうしたらいいのだろう。日本の明日はどっちだ。


みたいな言説をよく見ますよね。

俺、これ嫌いなんですよ。

なんだ、「失われた20年」って。


「俺たちは悪くないよ、頑張ってきたもん。でも外部環境がさ~…。」

みたいな、おっさんたちの自己正当化を聞かされてる感がありすぎて。


バブル崩壊の衝撃はともかく、「日本経済の伸びが弱くなる」というのは、

ちょっと考えれば当たり前のことじゃないですか。バブル崩壊が無くても。


それまで、「欧米の先進諸国に追いつけ追い越せ」でやってきた日本が、

「それらの国々に追いついちゃった」だけなんですから。


新興国から先進国になるまでの間は、目指すところが明確で、

真似できる相手もいるんだから、そりゃもの凄い勢いで成長するでしょう。

今の中国や韓国がやってることです。


そして、一旦追いついてしまえば、

今度は目標を自分で定めて実行し、評価し、修正しながら続けていく必要が出てくるわけで、

ただ先人の背中を追うよりも高度なことが要求されるフェーズに入ってくる。


それがバブル崩壊前後あたりから、日本が立たされてきた状況だったはず。

しかし、日本はそれに気付けなかった。


お国の定めた方向性(欧米にいかに追いつくか)に沿って、

ひたすらがむしゃらにやりさえすればドンドン成長していくという、

ある意味イージーモードを経験してしまった日本人が、

「なんでこれまで成功してきた方法なのに、うまくいかないのか」

に気付くことは、難しいことだったんでしょう。


その結果、今の今までマイナーチェンジを繰り返しながらずるずる来て、

「失われた20年」とかバカなこと言ってるわけです。


「失われた20年」じゃねーんだよ。


「先進国としての役割が求められてることに気付かず、

 新興国にだけ許されるやり方で誤魔化し続けてきた20年」


なんだよ。


例えば、「日本のモノづくりは世界一」というのは良く言われます。

確かにそうでしょう。日本製品のクオリティは素晴らしいものがあります。

世界一か、そうでなくても世界に誇れるレベルではあると思います。


でも、「日本だから」そうなれた部分もあるとは言え、

「モノづくりが得意になる条件」がたまたま日本に揃っていただけという見方もあります。

その当時の世界の中でのポジショニング、国民性、文化、諸々がうまくかみ合っただけで、

別に日本は「モノづくりを宿命づけられた国」ではない。


時代が移って、日本以外の国が「世界一のモノづくり大国」になることも当然有り得る。

それを認められない「モノづくりでの強烈な成功体験」をしてしまった世代が、

いつまでも「世界一のモノづくり大国」の称号にこだわり、

全体の足を引っ張っている事例もあるのではないでしょうか。


どうしても、労働集約的な仕事は新興国のほうが強い。

「日本には技術がある」?

中国人だって韓国人だって、ずーっと機械いじってりゃ、

そのうち「有り得ない精度の加工をする職人」も出てくるだろうよ。

同じ人間なんだから、「日本人にしかできない」というのはあまりにも傲慢。


日本は過去の成功体験にすがりつくのをやめて、

「先進国としてどのような役割を果たしていくべきか」を考えなきゃなりません。


新興国のような労働集約的な、

がむしゃらに頑張ればうまくいくという「甘え」を捨てなきゃなりません。


「世界が求めるものを供給する」立場から、

「何が世界に必要かを提案する」立場になっていかなきゃなりません。


そしてそれを担うのは、俺ら若い世代なんじゃないかなと。

おっさん達に任せてても、無理そうだし。

だってこれまで、そういう考えを持ってやってきてないんだから。


「日本を良くするにはどうしたらいいんだろう」と思うのであれば、

俺ら若い世代は、国内の年長者に「これまで成功してきたやり方」を教わるのではなく、

先進国として世界を引っ張ってきた「先輩」諸国に、

「先進国としてのモノの考え方」を学ぶ必要がありそうです。


昔ながらの「エリートとしてのステータス」「遊びを兼ねて」の留学じゃなく、

本当に学びのために海外に行く必要性が出てきてるんじゃないだろうか。


今こそ日本人は「考え方」を国外に求めるべきなのでは。

明治維新の頃にそうしたように。


それらを日本に持ち帰って、現存する「日本の強み」とどう融合させるか。

そういったことができる人が、今後の日本には必要になってくるんじゃないかな。


俺も「若い世代」とか自称してられるうちに、そういう感覚を身につけたいなと思ってます。

「使いモノにならない学生」を「まともな社会人」にするのは企業の義務。

CSRって言葉がありますね。

Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)の略です。


企業には、社会を構成する重要な一要素として、

果たすべき責任があるという考え方です。


どんな企業であっても、その企業単体で生き残れるわけじゃなく、

労働者、消費者、株主、取引先等々、社会全体に支えられてる部分が

多々あるわけで、それに報いなければ存続できないとも言えます。


で、このCSRの1つとして、企業には、

『「使いモノにならない学生」を「まともな社会人」にする義務』

があるんじゃないかと思います。


あ、「使いモノにならない」ってのは、

あくまで「社会人として一般的とされる能力を備えていない」という意味です。

だって知らないしやったことないんだから、できるわけないよね。

誰からも教わらず出来る奴がいたら、そいつの前世はたぶん社畜です。


なので、その程度のことで他人を見下して偉そうにできる人間がいるとすれば、

その人はかわいそうな人なのでほっといてあげるといいと思います。


ていうか、「使いモノにならないおっさんおばちゃん」が世の中には

大量に生息しているわけですが、そのあたりをいじりだすとキリがないですからね。

まぁ、人間なんとでも生きていけるんだなと思う程度に留めておきましょう。


さて、企業の社会的責任として、

「まっさらな新卒を、社会人として一般的なスキルを身に付けた人間にする」ことは、

要求されて然るべきことだと思います。


特に大企業ね。

中途でしか人を採らない(採れない=人を育てる程の資金力がない)中小企業は、

世の中に五万とあります。


新卒なんて採ろうもんなら全社をあげて大騒ぎなレベル。

そんな会社(=そんな会社で働いてる人)は世の中に溢れています。


そんな、「新卒なんて雇ったら潰れるってマジで!マジ無理やめて!潰れる!」

みたいな企業に「てめぇの社会的責任だろコラ」って言って新卒採らせようとは思いません。


そんな、多くの企業ができないことをできる稀有な資金力のある大企業が、

非常に多くの関係者のおかげで成り立っている大企業が、

今後も世の中が回っていくために絶対に必要なことである「社会人の養成」をやらずして、

誰がやるんだって話ですよ。


え?

国がやれ? 大学がやれ? 高校がやれ?


バカ言ってんじゃねぇよ。


「社会人」という人種の養成が、誰にとって一番メリットがあるか考えてみましょう。

最も直接的にメリットを享受するのは、他でもない企業です。

「まともな社会人」という種類の人材によって労働力を確保し、利益を生む企業。

この企業こそがこの人材を教育しなくて、一体誰がやるっていうんでしょうか。


最近の企業は、大企業をやらせてもらってるというのに、

やれ「利益が出ない」だの、「即戦力が必要だ」だの、

甘えたことを抜かしていますね。


新卒の学生が「社会人」という人種として使いモノにならないなんてのは、

わかりきってることなんですよ。

それこそこれは、これまでずっと、資本主義の初めから変わってきていないはずです。


そんなこと百も承知で、それでも自分たちの立つ経済社会のため、

どこに出しても恥ずかしくない「社会人」を養成してやろうってのが、

本来の、社会を構成する重要な要素たる大企業のあるべき姿じゃないですかね。


どこに出してもってのは、転職が前提ってことじゃないですよ。

どの取引先・どのお客さんに会わせても恥ずかしくないってことです。

そんな想いを持って人材育成してる企業は、いったいいくつあるでしょうかね。


「勝手に育て」「過労で潰れたら自己責任」なんかの、

企業としての責任を放棄したようなセリフは、

自社の立ってる土台を作ってきてくれた経済界の先人に

少しでも感謝の想いがあれば、出てこないはずです。


今はそういったことを言う企業が多くなってしまったことを、非常に残念に思います。

松下幸之助か誰かの爪の垢でも煎じて飲んでればいいんじゃないですかね。


自分たちは何の上に成り立てているのかをきちんと理解して、

その土台をあって当然のものだと思わず、自らその土台を強化・革新していく。

そういった発想ができない企業は、先が見えるってもんですよ。


大企業は、海外で植林なんかしてる場合じゃない。

人を育てろ。

非効率で儲からないのなんか当然だ。

それでも育てろ。それが企業としての社会的責任だ。


もっと経済界に対して、そういう声をあげていってもいいんじゃないでしょうか。

「日本の職場」は世界に避けられる?

介護福祉士に合格でも帰国へ

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120507/k10014944681000.html


こんなニュースを見かけました。


少し前に、

「外国から介護福祉士の試験受けたい人呼んで、介護施設で働いてもらったりするよ!」

「人手不足の介護業界、外国の労働力入れて改善するよ!」


なんてことを国がやろうとしてる、なんてニュースを見ましたが、

それの結果が出たってことなんでしょうね。


なんでも、合格した人もしなかった人も、帰国する人がわりと出てきてるよ、という話。

95人が試験を受けて、36人が受かり、7人が帰国または帰国予定とのこと。


正直、大して帰国する人多くねーじゃん。


とも思いますが、まぁそれは置いといて。


気になったのは、このニュースの報道の姿勢。


「国はこんだけ金を出した」

「受け入れ施設も、こんなに合格をサポートしてやった」

「なのにこいつら帰りやがる、どういうことだ」

「帰る奴らも、そんな状況を予防できなかった国もどういうことだ」

「制度の改善が待たれる」



というのが、ニュース作った人の言いたいことなんだろうなーと、

ひしひしと感じられるような報道のしかたでした。


えー、ここで、誤解を恐れず言えば、

介護業界なんて、思いっきりブラックじゃないですか。


帰国したのは、残してきた家族が云々ってより、

その「ブラックさ」のせいなんじゃねーのかなって。


大体、自分の国にいるよりは良い金がもらえるとは言え、

それまで縁もゆかりもなかったような異国で、

肉体的にも精神的にもきっつい労働を、

何より、その国の言葉のネイティブでかつ職のない連中ですら

やりたがらないような仕事を、語学を習得しつつこなせるかっつーの。


まず外国人というだけで、ブラック度10倍くらい。


日本の職場には外国人を受け入れる下地なんてものも全然ないしね。

日本人の先輩たちもおっかなびっくりだっただろうし、

最悪、シカトしてたり暴言はいてたり、適当に距離置いてたりしそうです。


そりゃ、そんな中でもできる人はいるでしょうよ。

実際、今回も合格者が出ている。

その人たちはきっと優秀だったんでしょう。


優秀なだけでなく、超ブラックで働き続けられる、

タフな人たちだったんだろうと想像します。


異国で優秀だと認められ、新たな労働力としても期待されている。

なのに、何故国に帰りたくなるのか。


俺はこの原因が「日本企業の社畜精神」にあるんじゃないかと思えてなりません。


会社を最優先して当たり前、会社で偉けりゃ人としても偉い、そんな日本企業、日本社会。

台風が来ようが大雪が降ろうが、意地でも出社しろ。休日もゴルフで会社の人間と過ごせ。

そして、そんな非合理なことが今も「社会人の常識」としてまかり通ってる非効率さ。


そんなバカバカしい組織や社会に、

最低でも2ヶ国語と一定の専門知識を操れるほどの人間が、

ずっといたいと思うでしょうか。


俺にはそうは思えません。


帰国を決めた人の人数はそんなに多くないとは言え、

日本は日本全体でこのニュースを重く受け止めて、

「移民だとか言ってるけど、そもそも日本の職場はイヤがられるものなんじゃないか」

という視点を持つことが重要だと思います。


「途上国の人間なんか、日本人と同じ額の給料出せばほいほい寄ってくるだろ」

「日本の若者どもが勤労意欲のないクソどもだから、外国人労働力を使えばいい」

「代わりはいくらでもいるんだよ、労働者ども」



なんて考えを持っている経営者・政治家などなどの方がいたら、

いや、当然そんなクズな考えを持ち、

さらに実行に移しちゃってるアレな人はいないと信じてますが、

いますぐ悔い改めたほうが良いと思いますね。


外国人も、日本の若者も、ニンジンぶらさげれば延々走る馬じゃないんですから。

もしその辺りを誤解しているおっさんがいたら、

人の心情を考えられない「コミュ障」なんでしょうね。


悪行は最後には自分に返ってきて、足元すくわれるもんです。


商売は直接の客だけでなく、世間も従業員も良くするものでなくてはならない。

そんな真っ当なことを言えた「日本の経営者」はどこいっちゃったんでしょうね、本当に。

「ゲーミフィケーション」は社会にイノベーションを起こせるか?

以前この記事でちらっと書きましたが、引き続き気になってますゲーミフィケーション。

ゲームの持つ「作業にハマる」仕組みを、

仕事を含む、社会的価値の創出に応用するという考え方。


例えば、ぷよぷよ。

冷静に考えればただの作業ですが、ついやってしまうし、連鎖が決まれば爽快感があるし、

対戦すれば勝っても負けても「おーし、もう1回!」ってなりますよね。


これと同じく、社会に役立つ何らかの作業に、「ゲーム的な面白さ」を組み込んでやって、

楽しく遊び、かつ世の中の役に立つ(≒お金がもらえる)という状況が

作り出せるんじゃないだろうか、ってことです。


そんな、ゲーマーにとって、「社畜とかごめんだわ」って人にとって、

まさに夢のような状況が作れるかもしれない。


これが気にならないはずないじゃないですか。

あまりにもおいしい話すぎて、アヤしい感じですけども。


でも、実際このゲーミフィケーションの考え方を利用して成功した例は既にあって、

難解なタンパク質の構造解析の研究をゲーム的な形にしてゲーマーにやらせてみたら、

あっという間に解けてしまったなんて話もあります。


そういう話を聞くと、研究で出来たのに、

リーマンが普段上司にイラつきながらやってる仕事ごときで出来ないはずがない!

なんて思ってしまいますね、俺は。


また、このゲーミフィケーション、経営学的な面から見ると、

「従業員の仕事へのモチベーションをいかに上げるか」という、

経営戦略や組織論の中で長い間命題とされてきたものへの、

ひとつの画期的な答えになるんじゃないかと思っています。


経営学において企業を良くする施策のひとつとして認知され、

また実際に企業に導入されて業績を改善していくのも、

そう遠い未来の話ではないんじゃないかと。


そんな妄想をしてると、何だかわくわくしてきちゃいますね。


どうせ、俺らの世代はこれまでと同じことを同じやり方でやってたって、

嫌々ながらもずっとサラリーマンをやって、むしろずっとやれればいいほうで、

やりたいこともやれず、大して金も稼げずに老いていく、

その上、上から与えられる仕事も敗戦処理みたいなつまらないものばかり、

なんて、そんな残念な世代にはなってしまいそうなのが現状なんです。


まぁそれは多少極論だとしても、

そうならないために何かをできるのは、他でもない自分たちだけのはず。

だからこんな半分妄想みたいな話だって、本気でやってみる価値があるんじゃないかと。


「みんなで楽しみながら社会を良くしていける社会」なんて、

必死でやっても作れるとは限らないけど、

誰かがやろうとしなけりゃ絶対勝手には生まれてこないんですから。


この「ゲーミフィケーション」って考え方をとっかかりにして、

少しでもそういう社会に近づけていけたら良いんじゃないかなーなんて思ってます。
プロフィール

しんじ

Author:しんじ
「新氷河期世代」
と呼ばれながら就職活動をした
2010年卒の社会人。

新氷河期世代1期生が社会に出て
感じたこと、考えていることなどをつらつらと。

でも就活状況の悪化が激しすぎて
下の世代のほうが優秀かも。

コメント歓迎。
メールで何か言いたい場合は
shintubu001○gmail.com
へお気軽に。
(○を@に変更)

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